日本学界・市民社会、「ラムザイヤー慰安婦論文」に初の批判声明

日本学界・市民社会、「ラムザイヤー慰安婦論文」に初の批判声明

日本軍慰安婦の実体を否定するマーク・ラムザイヤー米ハーバード大学ロースクール教授の論文について、日本の学界と市民社会が初の公式批判声明を発表した。(略

声明では、慰安婦を公娼と同一視するラムザイヤー教授の論文は、専門家の査読をすりぬけて学術誌に掲載されたことに驚きを禁じ得ないとした。ラムザイヤー教授の論文は、先行研究が無視されているだけでなく、多くの日本語の文献が参照されているわりに、その扱いが恣意的とも指摘した。また、肝心の箇所では根拠が提示されずに主張だけが展開されているとし、問題点を挙げた。

また、「日本軍慰安婦制度は公娼制度と深く関係しているが、同じものではない」とし、「慰安所公娼制度とは異なり、日本軍が自ら指示・命令して設置・管理した」と指摘した。また、慰安婦は日本軍が直接、または指示・命令して徴募されたが、論文が日本軍の主体的な関与を示す数多くの史料の存在を無視していると批判した。

加えて、「慰安婦は性奴隷ではない」などの記述は、日本や韓国などで慰安婦被害否定論者たちによって繰り返し主張されてきたことで、これを新たな装いにしたラムザイヤー論文の主張に対する批判を「反日」などと言って攻撃するなど、「嫌韓」や排外主義の根ざした動きが、日本社会で再活性化している状況を憂慮しているとした。

2021/03/10(水) 

 

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ラムザイヤー教授に対する批判は、契約や契約書がないことに集中している。法律の教科書を見ると、「契約」の本質は「意思表示の合致」である。「契約書」はその「証拠」にすぎない。にもかかわらず、「契約書」の存否にのみこだわる人が多いので、契約と契約書の存在を立証する事例を示そう。

 ここで取り上げるのは、「中国に連れていかれた朝鮮人慰安婦2」(韓国挺身隊研究会著、ハンオル、2003)に出てくるヒョン・ビョンスクの証言である。娘が親に売られて売春婦や慰安婦になるケースが非常に多かったことは、すでに何度も述べている。ここではそのような状況において、契約が結ばれて契約書が作られていたことを証明するため、この本に書かれている証言の中から重要だと思われる部分を抜粋する。

ペ・ジュンチョル(質問者):その店からいくらもらって行ったんですか?

──500ウォンだよ。期限は2年でね。その500ウォンは父と母にあげたの。2年経って家に帰ってきたんだけど、家でぼうっとしててもしょうがないし、またほかの所へ行ってお金を稼いで、父と母にあげようと思って。村にはいないつもりだった。

 証言者のヒョン・ビョンスクには、酒場で働いていた経歴があった。売春を兼ねていたと思われる。2年の務めを終えて家に帰ってくると兄から結婚するように言われ、ならばいっそのこと、またお金を稼ぎに行こうと考えたのだ。そこで人を探すことにする。

──だから朴哥(パク・カ)って人に会いに、博川(パクチョン、平安北道)へ行ったの。ある旅館に行って、「女性を買いに来たって聞いたけど、この辺のどこにいますか」って聞いたら、「あそこの旅館だよ。中国から女性を買いに来たってさ。行ってごらん」。それで行ってみたら・・・、男が一人座ってた。「女性を買いに来たんですか」と聞くと「若いお嬢さんがどうしたのかね」と聞くから「私も中国へお金を稼ぎに行きたいです」と言ったの。

ペ・ジュンチョル:おばあさんはその時、中国に行って何をするのか知ってましたか。

──知ってたよ。

ペ・ジュンチョル:日本の軍人を大勢相手にすることも知ってましたか。

──もちろん。

 彼女はその人が何のために女性を買いに来たのか、よく知っていた。続いて、彼女は契約条件の交渉に乗り出す。

親がその場にいなければ支払われなかった前借金

ペ・ジュンチョル:そういう話をどこで聞いたんですか。

──うわさで聞いたよ。いろんな話を聞いてね。あちこち歩き回ってから見つけたの。それで、私を買うかって聞いたら買うって。いくら欲しいかって聞かれて「うちの父と母が困るから、3年を期限にいくらくれる?」って聞いたら「2000ウォンあげよう」と言われた。だから、「2000ウォンじゃあ、1年で1000ウォンにもならないよ。1年に1000ウォン欲しい」と言ったら「いいだろう。3000ウォンにするから、家に帰って親の同意を得てきなさい」ってなって。

 前回の寄稿で述べたように、慰安婦として就職するためには戸主、つまり父親の承認が必要だった。ヒョン・ビョンスクの父親も最初は反対するが、娘に強くせがまれて、結局は承諾する。無論、父親も娘がどんな仕事をするのか承知していた。

ペ・ジュンチョル:「ハンコはもらえましたか」

──もちろんだよ。父か母を連れていったらお金をもらえたの。それに、祖父や祖母のハンコももらえって。当時は厳しかったんです。

ペ・ジュンチョル:「それは何歳でしたか」

──16歳になってたと思うよ。酒場にも2年くらいいたからね。祖父と祖母のハンコまでもらえなんて。ハンコを押してくれるか心配で。父なら私の話を信じてくれる。だから父の手を引っ張って川辺に連れてって話したの。「お父さん、女性を買いに来た人がいるんだけど、いくらいくらくれると言うから、遠い所へお金を稼ぎに行きたい」。父にいい暮らしをさせてあげたかったし、好きなものを食べさせてあげたくて。「お父さん、私を働かせて」。

 この場合、前借金はその場に親がいなければ支払われなかった。そして、両親と祖父母の同意と捺印が必要だった。父親だけでなく、母親と祖父母の同意と捺印まで必要な理由は分からないが、連帯保証人だったものと思われる。これが契約でなくて何であろうか。契約条件の一つとして、娘をほかの所に売り渡すなという要求を付ける。

 

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業者が騙して連れて行ったとしても慰安所で働く際には必ず本人の意思を確認してたよ
裏を返せばそれだけそういう類の詐欺業者が横行していたとも言えるが
むしろ娘を売った親は民間の売春宿より待遇や報酬面でしっかりしてる軍慰安所で働くことを望んだという証言もある

https://news.yahoo.co.jp/articles/b9d69a5a5827bb8203e28ac6c410837e7fc94922

 

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朝鮮から慰安所に女性を連れていくには、さまざまな公的書類が必要だった。

 女性と慰安所業者が共に作成する申請書といえる「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、世帯主と女性本人が捺印した就業承諾書、
世帯主と女性本人の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成・発給してもらえない)が必要であり、
日本領事館の職員も慰安所就業の意思があるかどうか、女性に対して調査を行った。
女性を就職詐欺で連れてきたり拉致してきたりしたのなら、このような書類は用意できなかったはずだ。

 本人の意思で慰安所に来ていない場合は、女性が着いてからも問題になった。
慰安所の利用と管理を担当する部隊は、慰安婦本人がどんな仕事をするのか知っていて来たのかを確認した。
前述のような書類を軍部隊で確認する手続きがあったため、だまされて連れてこられた女性を故郷に送り返したケースもある。

 

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北村弁護士朝日新聞慰安婦に関する虚偽報道をするまで、韓国は戦後38年間も1度も問題にしてこなかった。攻撃や金目当てで…」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1551344212/


慰安婦】韓国・済州島住民の証言「強制連行など知らない」「そんなの聞いたことない」 ネット「吉田清治の捏造本が発端…」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1538988220/

 

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○名乗り出た慰安婦第一号の証言のブレに戸惑っていた当時の左翼w

【文春】臼杵敬子「慰安婦は事実でした。しかし、証言を二転三転させる1号の金学順が公に登場。まずいな、と思いました。」 [納豆パスタ★]

高木(健一)「金学順さんの話なんだけど、私たちが聞いた話と他のマスコミに言っている内容が違う。知ってる?」

臼杵「ぜんぜん気が付かなかった。そうなの?」

高木「そうか。もう裁判だし。こちらでなんとかしよう」

 

 慌てました。報道等を確認すると、金学順さんはキーセン学校に通い、キーセンの養父とともに満州で仕事をしていたというのです。
その後、北京に立ち寄ったところで日本軍に捕まり慰安婦にされた、という話が語られていることがわかりました。まずいな、と私は思いました。
キーセンは日本で言う芸者のことです。キーセンという言葉は、裁判では誤解や偏見を招く可能性があると思ったのです。

 金学順さんが日本軍に連れて行かれたという鉄壁鎮(てっぺきちん)という場所も中国地図から見つけることが出来ませんでした。
彼女が慰安婦だった期間も3か月ほどであり短い。
私は金学順さんの証言では、慰安婦問題を正しい形で提起するためには、裏付けが弱いと感じた。
しかし、弁護団の方は、顔を出して肉声で被害を訴えることが出来る人は金学順さんしかいないと、原告とすることを決めたのです。

 私は提訴後、彼女の証言にあやふやなところがあったので「ウソを言ったらダメよ」と言いました。
でも金学順さんは「私は間違ったことは言ってない」と頑なでした。
(略)
 金学順さんの証言のブレは、慰安婦問題を語るうえで、後世に大きなシコリを残すことになりました。
発言が二転三転したことで、日本側から「売春婦だった」、「慰安婦問題はなかった」などの酷い言論を誘発する事態となってしまったからです。